また会う日まで。
ご無沙汰しております。旭堂花鱗ございます。あけおめです。ことよろです。ビバ節分です。前厄です。
さて、本題。休業させていただいております。ちと、病に侵されておるんです。予兆は、平成15年の夏ごろからありました。ご飯さえ食べてりゃ何とかなるさ~、で病院に行きませんでした。やべぇなぁと本格的に感じたのは、平成18年正月でした。この年は忙しかったので、酒を呑んで誤魔化していました。
ぶっ倒れたのは、平成18年の12月です。黄色いお花が川の向こうに見えそうだったので、病院の門を叩きました。そこでやっとこさ病名をつけてもらい、晴れて「病人」に成りました。けど、薬で直ぐに治ると思って、普段通りに、パッパラパッパラしておりました。
またぶっ倒れたのは、平成19年3月です。初めて、高座に穴を空けてしまいました。『天満講談席』です。行く気はあったのですが、青い顔をして肩で息をする私の姿を見た母が、師匠南鱗に連絡。師匠と私の両親、当事者の私との相談の上、『天満講談席』、『上方講談を聞く会』、『オーク弁天寄席』はお休みさせていただくことになりました。
夏ごろには、何となく復活してきた気がしたので、繁昌亭に出させていただいたり、お話会の為に各地を回っていました。でも、元気なようで、しんどい。しかし、仕事をしないと、生きていけません。本当は休まないと、黄色いお花が見えてきます。ジレンマに陥りました。どっちゃに転んでも、六文銭。
病は気からと、昔の人は言いました。それにならい、気力で、11月の『東西講談(仮)名人会』の高座に上がりました。あの時、私は笑っていたでしょうか。ひきつった顔はしていなかったでしょうか。お客様に、料金分だけの笑いや講談の楽しさをお届け出来たでしょうか。この日を境に、私の中でプツリと何かが切れました。
師匠の独演会に、出られませんでした。心身ともに、レベル4です。もう、破門でもいい、死ぬよりましだ、と師匠に電話をしました。師匠の自宅まで行ける体力も残っていなかったのです。師匠に事情を話しながら、涙が溢れてきました。自分が情けなくて、情けなくてたまりません。泣いてるなんて師匠に気付かれるのも情けないので、成るべく普通に会話を進めました。多分、師匠も泣いていました。
人生の三分の一を、講談と共に歩んでまいりました。素人時代を含めると、師匠南鱗と過ごした時間は、十二年になります。休業となると、この二つの大切なものから離れることになります。いつ治るか判らない病気です。だったらいっそ、廃業にしてしまった方がいいのではないかとも考えました。そんな私の思いを察してか師匠は、
「何年でも待ってるで。ゆっくりやろう。」
と言ってくれました。また、涙が出ました。
病気に成り、失ったものや離れていった方もおられます。逆に、素敵な方に出会えたり、新たな発見もありました。いつか、病気を笑いに変えてみせます。体調を万全にそなえ、再びお客様の前で楽しく講談を読めるよう、今しばらくお時間を頂戴しとう存じます。
最後に一言。病は気からも限度があるよ。ちょっとでもおかしいと思ったら、直ぐに病院に行った方がいいですよ。マジで。あとね、私の病名は公表しないよ。だって、これをネタに、復帰したら、講演とかで荒稼ぎしたいんだもん♪どうしても知りたい人は、見舞金と味噌か米を持って、ウチまで来てください。よろぴこ。
それでは、またお目にかかる日まで、ごきげんよろしゅう~。あでぃおす。






















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